渋い役どころと、安定の演技で人気の杉本哲太さん。
テレビドラマで見ない日はない程の人気俳優です。
杉本哲太さんの公式サイトのスケジュールを拝見すると、出演作品の多さに驚きます。
最近の作品だけでも『ハゲタカ』『相棒17』『日経スペシャル ガイヤの夜明け』で、俳優(役者)やナレーターとして出演されています。
今でこそ落ち着いた雰囲気の俳優(役者)ですが、デビュー当時はどう見てもヤンキーでした。
そんな杉本哲太さんのプロフィールとデビューのきっかけ、杉本哲太と嶋大輔は横浜銀蝿ファミリー。
そして嫁との馴れ初めや、白蛇抄で日本アカデミー賞新人賞受賞!について書いていきます。
杉本哲太さんの紅麗威甦(グリース)時代を知っている人も
茜さんのお弁当を見ていた人も
最後までお読みいただくと嬉しいです。
目次
●杉本哲太プロフィール
名 前 杉坂哲太(すぎさかてった)
生年月日 1965年7月21日(53歳)※2018年10月現在
出生地 神奈川県茅ヶ崎市
身 長 180cm
血液型 O型
職 業 俳優
活動期間 1981年~
配偶者 神津はづき
事務所 シス・カンパニー
オリコンニュースより出典
所属事務所のシス・カンパニーには、堤真一さんや高橋克実さん、キムラ緑子さん、渡辺えりさん等ががいらっしゃいます。
なんとも実力派揃いの芸能プロダクションですね。
そして16歳での芸能界デビュー!
これについては、後で記述していきますね。
以上が、杉本哲太のプロフィールについてでした。
杉本哲太Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/杉本哲太
シス・カンパニー公式サイトより
www.siscompany.com/02manage/38sugimoto/
●杉本哲太さんのデビューのきっかけは?
杉本哲太さんのデビューは、どんなきっかけだったのでしょうか?
杉本哲太さんのデビューのきっかけを調べてみました。
高校入学後もほとんど学校には行かなかった杉本哲太さん。
16歳のある日、横浜駅西口ダイヤモンド地下街の喧嘩していました。
そこに通りかかった横浜銀蝿のリーダー嵐ヨシユキさんが、その喧嘩を止めに入ったのです。
当時、横浜銀蝿と言えば不良たちの憧れでした。
そして杉本哲太さんは、喧嘩のことも忘れ嵐ヨシユキさんにアプローチします。
「仲間に入れてください!」
ちょうど『銀蠅仲間募集』ということもあり、それをきっかけに杉本哲太さんは、ほどなく横浜銀蝿の弟分ということで『紅麗威甦』(グリース)というバンドのボーカルとしてデビューしました。
デビュー曲は『ぶりっこロックンロール』。
ちょうど、ぶりっこという言葉が出てきた頃でした。
また1983年公開の映画『積み木くずし』(主演:渡辺典子さん)の主題歌『15歳でオバンと言われます』も歌っていました。
そんな杉本哲太さんのデビュー当時は、左手に包帯を巻いていたのがトレードマークでした。
そういえば、杉本哲太さんは左利きですね。
若い頃の杉本哲太さんは悪かったんです。
デビュー当時は眼光も鋭かったです。
そんな当時の杉本哲太さんを知る一人に、中居正広さんがいらっしゃいます。
中居「更生してよかったですね」
杉本「はい、更生してよかったです」
このやり取りで、杉本哲太さんの若い頃がかなりヤバかったことがわかります。
世の中に偶然はないといいます。
そして何がきっかけで、人生を変わる(運命かも)のかわからないといういい例ですね。
もし杉本哲太さんが若い頃、不良でなかったら?
現在の杉本哲太さんはいなかったかもしれないですね。
以上が、杉本哲太のデビューのきっかけは?についてでした。
ライブドアニュースより
news.livedoor.com/article/detail/10323379/
●杉本哲太と嶋大輔は横浜銀蠅ファミリー!
今でも老若男女問わず、耳にしたことがある楽曲で『男の勲章』があります。
つっぱることが男の~♪
現在でも、いろいろな場面で使われる楽曲ですね。
この1983年発売の『男の勲章』を歌っていたのが、嶋大輔さんです。
ヤフーニュースより出典
実はこの『男の勲章』は個人としては、2枚目のシングル。
そんな嶋大輔さんと杉本哲太さんは、横浜銀蝿ファミリー(弟分)としてデビューでした。
嶋大輔さんのデビューは、横浜銀蝿と一緒に『ツッパリハイスクールロックンロール(試験編)』を歌っていました。
横浜銀蝿ファミリーとしての、ちょっとしたお披露目のような感じだったでしょうか。
確かこのとき嶋大輔さんは、10㎏痩せたと仰っていました。
太りやす体質のようにお見受けしますね。
その後も、バラエティー番組のダイエット企画などに出演されていました。
おでんダイエットで、痩せられていましたね。
横浜銀蝿のファンだった私は『ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』を必死に見ていました。
当時、歌番組の常連だった杉本哲太さんと嶋大輔さんは、横浜銀蝿ファミリーとしての華々しいデビューでしたね。
それくらい横浜銀蝿ファミリーは、一世を風靡しました。
また1981年放送のテレビドラマ『茜さんのお弁当』での共演があります。
茜さん役が八千草薫さんで、その茜さんが営むお弁当屋さんで働く不良たち。
その不良役の中に、杉本哲太さんと島大輔さんがいました。
このドラマもすごく楽しみで、毎週欠かさず見ていましたね。
ちょうど不良に憧れる年頃でしたから(笑)
杉本哲太さんと島大輔さんは、ファミリーでもありライバルでもあったと言えますね。
以上が、杉本哲太と島大輔は横浜銀蝿ファミリーについてでした。
●杉本哲太は白蛇抄で日本アカデミー賞新人賞受賞!
杉本哲太さんの俳優(役者)としての分岐点とも言える映画作品『白蛇抄』(1984年公開)(日本アカデミー賞新人賞受賞)。
これも私にとっては衝撃的でした。
当時私は、ティーン向け雑誌『セブンティーン』を愛読していたのですが、それに撮影の様子等が掲載されていました。
杉本哲太が丸坊主!!
修行中の僧侶の役だったので、丸坊主は避けられない!
それは仕方ないとはわかっていても、リーゼントヘアーが丸坊主!!
正直、動揺しました。
そして『白蛇抄』は小柳ルミ子さんが主演という映画。
濃厚なシーンもあるということで、更に動揺する私。
若かったんですね、私(笑)
そしてこの『白蛇抄』で小柳ルミ子さんは、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を、杉本哲太さんは日本アカデミー賞新人賞を受賞されました。
今思えば、とても難しい役だったと思います。
ましてやまだまだ俳優としては経験も少なく、10代だった杉本哲太さん。
しかし逆を言えば未知数であり、可能性の塊の新人 杉本哲太さん。
結果、日本アカデミー賞新人賞受賞をされたのは、ちゃんと俳優(役者)として評価されたという証拠です。
本当に良い作品に出会えたと思っています。
私は『白蛇抄』が杉本哲太さんを、俳優(役者)として自身にも周囲にも知らしめた作品だったと感じています。
以上が、杉本哲太は『白蛇抄』で日本アカデミー賞新人賞受賞!についてでした。
●杉本哲太の嫁との馴れ初めは?
杉本哲太さんの配偶者(嫁)欄に『神津はづき』さんとあります。
嫁の神津はづきさんと言えば、お父様が作曲家の神津善行さん、お母様が女優・タレントの中村メイコさん、お姉様が作家の神津カンナさん、画家の神津善之介さんが実弟という芸能一家です。
この芸能一家に入るわけですから、杉本哲太さん覚悟が必要だったでしょう。
当時27歳だった杉本哲太さん、これからの自分の俳優(役者)人生を左右すると言っても過言ではないですからね。
そんな嫁の神津はづきさんとの馴れ初めは、一体どんなものだったのでしょうか?
杉本哲太さんと嫁の神津はづきさんが結婚した当時、接点が見つけられなくて疑問だった私です。
そこで、杉本哲太さんと嫁の神津はづきさんの馴れ初めについて調べてみました。
最初は、ドラマで共演した岩崎良美さんを食事に誘った杉本哲太さんでした。
やはり2人きりで会うのを躊躇した岩崎良美さんは、友人の神津はづきさんを同行したのです。
ここで杉本哲太さんと後に嫁となる神津はづきさんが出会い、馴れ初めとなるのです。
そして今でも覚えている、結婚後の杉本哲太さんが囲み取材での言葉
一目惚れでした
一目惚れ!
そんなこと言われたら、もう何も言えない私でした。
結構、杉本哲太さん好きだったんですよね(笑)
3歳年上の姉さん女房の神津はづきさん。
その後、ちょっとしたオイタがばれたことがあった杉本哲太さんですが、そのときの囲み取材もとても潔かった記憶があります。
芸能人の嫁というのは、一般人より肝が座ってないといけないのかもしれないですね。
以上が、杉本哲太さんと嫁との馴れ初めは?についてでした。
●杉本哲太さんを育てた気分
杉本哲太さんのデビュー当時から見てきた私は、どうやら育ての親気分でいることに気付きました。
いや、杉本哲太さんの方が年上ですけどね。
ただの不良少年だった杉本哲太さんを見てると、本当に
人の人生ってわからないな…。
とつくづく感じます。
どんなことがきっかけで、どんな人と出会うかで人生が左右されるのですから。
教訓として、行動は起こすべきだと思います。
いろいろな所に行く、いろいろな人たちと出会う。
そうすると導かれる選択肢が広がることは、間違いないと思っています。
どこに何が転がっているのかわかりませんからね。
さあ、一緒に拾いに行きましょう!
コメント
杉本哲太はいい俳優になりましたね。やはり根性があるのでしょうね。
小林明彦さん、初めまして!
お読みいただきありがとうございます。
私もそう思います。
デビュー当時から見てるので、今の活躍が嬉しいです。