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渋沢栄一とは?新札(一万円)はいつから?[日本資本主義の父]

政府が新札(一万円札、五千円札。千円札)紙幣のデザインを新しくする方針を固めたことが分かりました。

 

新一万円札が渋沢栄一氏

新五千円札が津田梅子氏

新千円札が北里柴三郎氏

 

紙幣のデザインの変更は2004年以来となります・
今回の記事では、渋沢栄一とは?や渋沢栄一の生い立ちと略歴
そして渋沢栄一はいつから新札(一万円札)?について調べていきます。

それでは渋沢栄一氏を尊敬する人も
渋沢栄一氏をこれから知っていく人も

最後までお読みいただくと嬉しいです。

 

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目次

●渋沢栄一とは?

名 前    渋沢栄一(しぶさわえいいち)
生 誕    1840年3月16日
 没     1931年11月11日(91歳没)
出身地    武蔵国榛沢郡(現:埼玉県深谷市)
職 業    幕臣、官僚、実業家、教育者

江戸末期から大正初期にかけての日本の武士。

第一国立銀行や東京証券取引所等、あらゆる分野の企業の設立や経営に携わり

[日本資本主義の父]

とも言われています。

 

 

 

以上が、渋沢栄一とは?についてでした。

 

 

 

 

●渋沢栄一の生い立ちと略歴

 

渋沢家は藍玉(染料を固めた物)と養蚕業の経営と、米、麦などの野菜の生産も手掛ける豪農でした。

渋沢栄一は子供の頃より、父と共に販売、仕入れ作業も行っていたのです。

14歳で既に単身での藍葉の仕入れに出掛け、これが後にヨーロッパ時代の経営システムを吸収する基盤を作ったと言われています。

 

ヨーロッパ時代の渋沢栄一氏のきっかけとは、主君の徳川慶喜が将軍となったのに伴い、パリ万博に出席する慶喜の異母弟(徳川昭武)の随員(御勘定格陸軍付調役)として、フランスへと渡航したことによります。

 

このとき先進的な産業や軍備に感銘を受け、後にパリに留学をするのです。

 

しかし大政奉還に伴い、マルセイユから横浜港に帰国。
このとき1868年11月3日(12月16日)。

 

 

 

 

●渋沢栄一はいつから新札(一万円札)?

 

渋沢栄一氏は、いつから新札(一万円札)になるのでしょうか?

渋沢栄一氏の新札(一万円札)がいつからお目見えするのか調べてみました。

 

調べた結果、渋沢栄一氏の新札(一万円札)は数年後をめどにという方向です。

いつから採用かは、9日に麻生財務大臣が発表する予定となっています。

一万円札、五千円札、千円札のデザイン変更は2004年以来となりますが、

渋沢栄一の新札(一万円札)はいつから採用になるのか、気になりますね。

ここは9日の麻生財務大臣の発表を待ちましょう。

 

 

今回もまた新札(一万円札、五千円札、千円札)は、いつのまにか自然に私たちに溶けこんでいくのでしょうね。

 

 

以上が、渋沢栄一はいつから新札(一万円札)?についてでした。

 

※新札(一万円札、五千円札、千円札)は、2024年の前期を目途に流通する予定です。

もちろん、現在の紙幣も使えます。

 

ヤフーニュースより
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190409-00000001-ann-bus_all

●ヨーロッパ時代の経営システムを吸収する基盤

 

ヨーロッパ時代の経営システムを吸収する基盤

 

この言葉、幼少の頃より渋沢栄一氏は商売を体に叩き込んでいたおかげということなのですね。

 

パリの先進的な産業や軍備に感銘を受けたというのは、既に受け入れ態勢ができていたからこそだと思います。

 

よくぞ、渋沢栄一氏を任命したと思います。

またこのとき通訳として同行したのが、シーボルトの長男というのです。

なんとも時代を彷彿させますね。

 

もっと、渋沢栄一氏を知りたくなりました。

 

また、今回の新札(一万円札)採用にあたり、これだ!と思ったのは

 

「私利を追わず公益を図る」

 

この渋沢栄一氏の貫き通した考えからではないでしょうか?

 

 

 

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