『城南電機の宮地社長』
一躍有名になりました。
小柄ながらもパワフルに動き回る姿は、テレビでも度々紹介されていました。
何と言っても、あの多額の現金をアタッシュケースに入れて持ち運ぶ姿を、ヒヤヒヤしながら観ていた人も多いのではないでしょうか?
今回の記事では、宮地社長(宮地年雄)のプロフィールや、米騒動との関係について
そして現金一括払いがモットーについて調べていきます。
宮地社長にパワーをもらっていた人も
タイ米を食べたことを思い出した人も
最後までお読みいただくと嬉しいです。
目次
●宮地社長(宮地年雄)プロフィール
名 前 宮地年雄(みやじとしお)
生年月日 1928年8月20日
没年月日 1998年5月9日(没年齢69歳)
出身地 和歌山県日高郡日高川町
身 長 154cm
好きな食べ物 しゃぶしゃぶ、ふぐ料理
『城南電機の宮地社長』
として、一躍有名になりました。
なかなか強烈なキャラだったので、ガツンとインパクトがありました。
何と言っても、現金一括払いをモットーとしていたので、常にアタッシュケースに現金を入れて持ち歩いていたのが印象的でした。
宮地年雄Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮路年雄
●宮地社長と米騒動との関係は?
宮地社長と米騒動の関係について調べていきます。
1994年3月、冷夏の影響で米不足となった日本。
平成の米騒動
私も、その米騒動の影響を受けて一時期、タイ米を食べたことがあります。
まず、当時勤めていた会社の社食がタイ米になりました。
日本米に比べると、見た目は細長いです。
食感はポロポロした感じです。
多分これは、日本米がもちっとしているからそう感じるのでしょう。
当時、タイ米はカレーライスに合う等と言ってました。
そんな米騒動でしたが、宮地社長との関係はヤミ米のあきたこまちを買い付け、城南電機(西永福店)で、安売りをしたのです。
これはもちろん赤字覚悟の大安売り。(5㎏6000円ちょいの仕入れ→3000円販売)
これは宮地社長の戦略で、赤字は宣伝費として考えていたのです。
そう、この米騒動の大安売りは、城南電機の知名度を上げるため。
実際、米騒動を機に城南電機は、宮地社長と共に一躍有名になりました。
宮地社長の狙い通りですね。
ちなみにタイ米を食べていた時期は短かったです。
あっという間に、普通に日本米食べていました。
以上が、宮地社長と米騒動との関係は?についてでした。
●宮地社長は現金持ち歩きがモットー
宮地社長と言えば、現金持ち歩きが有名でした。
常にアタッシュケースに現金持ち歩き姿は、たびたびテレビでも映されていいました。
通常、商売人が取引をする場合、掛け買いが一般的だと思います。
これは宮地社長のこだわりだったのでしょう。
現在では私たちが買い物をするのも、クレジットカードやスマホアプリ決済等を利用することが増えてきました。
割と高齢の方に多いのが、現金主義というかクレジットカード等への抵抗感です。
宮地社長も現金主義だったのかもしれませんね。
でもかなりメディアにも取り上げられていたので、強盗被害にも遭われています。
6度も…。
それでも現金持ち歩きをやめなかったのは、ひょっとしてこれも宣伝⁉
今考えると現金持ち歩きも、宮地社長の戦略だったかもしれません。
以上が、宮地社長は現金持ち歩きがモットーについてでした。
●バラエティー番組に出演する宮地社長
宮地社長はバラエティー番組にも出演されていました。
すっかり米騒動から一躍有名人になっていたのですが、さらに話題の人でした。
やはりあの独特のキャラクターは、バラエティー的にはおいしかったのかもしれません。
結構イジられていた記憶です。
当時は知らなかったのですが、このバラエティー番組への出演料はお断りしていたそうです。
宮地社長は、あくまでも宣伝として考えられていたようですね。
損して得取れ
根っからの正真正銘の商売人だったと思います。
現在はいろいろな意味でスマートになりました。
これから先、こんながむしゃらな商売人は出てこないかもしれないですね。
宮地年雄Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮路年雄