二所ノ関部屋(にしょうのぜきべや)の親方と言えば、元大関・若島津。
若島津と言えば、イケメンで有名でした。
当時、子供の私が見ても確かにイケメンでした。
そして、人気歌手の高田みづえさんとの結婚も衝撃でした。
同じ鹿児島出身ということで、意気投合したのでしょう。
高田みづえさんは、結婚を機にスパッと芸能界を引退されました。
高田みづえさんのヒット曲、サザンの桑田さんの作った『そんなヒロシに騙されて』は、今でもカラオケで歌わせていただいています。
そんな二所ノ関部屋(にしょうのぜきべや)に所属する、元公務員力士のいちやまもと(一山本)にスポットを当ててみました。
デイリースポーツより出典画像
今回の記事では、いちやまもと(一山本)のプロフィールや、元公務員が力士になったきっかけ
そして、いちやまもと(一山本)の四股名の由来について調べていきます。
いちやまもと(一山本)が若島津よりイケメンと思う人も
いちやまもと(一山本)の増量を応援している人も
最後までお読みいただくと嬉しいです。
目次
●いちやまもと(一山本)プロフィール
四股名 一山本大生(いちやまもとだいき)
本 名 山本大生(やまもとだいき)
生年月日 1993年10月1日(25歳)※2019年5月現在
出身地 北海道岩内郡岩内町(いわないちょう)
身 長 186㎝
体 重 130㎏
血液型 東幕下3枚目
所属部屋 二所ノ関部屋(にしょうのぜきべや)
日刊スポーツより出典画像
現在、東幕下3枚目ですが、2019年7月場所での新十両昇進が決定しています。
大野農業高校時代は高校総体32強、中央大学商学部商業・貿易学科時代には全国学生相撲選手権大会で個人16強という成績を持っていました。
しかし、当時は目立ったものではないということから、大相撲入りに自信が持てず、北海道福島町役場に就職をし公務員となったのでした。
以上が、いちやまもと(一山本)のプロフィールでした。
一山本大生Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/一山本大生
日刊スポーツより
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905290000719.html
●いちやまもと(一山本)は元公務員力士!きっかけは?
いちやまもと(一山本)は、力士になる前は北海道福島町役場に勤める元公務員でした。
プロフィールでも書きましたが、当時は力士でやっていく自信が持てず、一旦は小学校の卒業文集でも書いた夢でもある公務員となったのです。
それがなぜ?
元公務員力士である一山本(いちやまもと)は、力士となったのでしょうか?
いちやまもと(一山本)が、力士となったきっかけを調べてみました。
いちやまもと(一山本)が力士となったきっかけは、一言で言うと
力士への思いが再燃!
そうです、いちやまもと(一山本)が力士の道を進んだきっかけは、2016年の国体で個人16強入りという成績に満足できなかったのです。
これが逆にきっかけとなり、一山本(いちやまもと)の相撲への思いに火を着けてしまったという訳です。
それに加え、同じく北海道出身の元幕下・神光(村上光昭氏)からの相撲界への誘いもありました。
ここで問題が発生します。
新弟子検査の受検資格は23歳未満!
このとき既に23歳だったいちやまもと(一山本)。
しかし!
神様はいました。
2016年9月、日本相撲協会が新しい受験資格の条件を決定していたのです。
相撲など各競技で実績があると理事会が承認すれば、25歳未満まで受験対象となる。
いちやまもと(一山本)はこの条件を満たし、23歳2ヶ月で新弟子検査を受けることが認められたのです。
何もかもがタイミングが良かったのでしょうね。
いちやまもと(一山本)が、力士になりたいと熱望した時期。
そして新しい新弟子検査の条件の決定。
ちなみに母親は、公務員を辞めて力士になるのは猛反対していたのです。
そこは4歳上の兄の説得により、晴れて公務員を辞め二所ノ関部屋への入門となりました。
でも小学2年生の頃から始めた相撲は、母親の勧めだったのです。
まさか母親も当時、相撲を職業にするとは思ってもいなかったでしょう。
元々のきっかけといえば、猛反対の母親が勧めた相撲だったとも言えますね。
以上が、いちやまもと(一山本)は元公務員力士!きっかけは?についてでした。
一山本大生Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/一山本大生
●いちやまもと(一山本)の由来は?
いちやまもと(一山本)の本名は山本大生さん。
そこから四股名の山本を取ったという由来は伝わります。
しかし、いち(一)って何なのでしょうか?
いちやまもと(一山本)の由来を調べてみました。
調べた結果、いちやまもと(一山本)の由来は、中央大学のOBが
9画が縁起が良い!
そう考えて、いちやまもと(一山本)と命名したのです。
いちやまもと(一山本)が、大学時代も愛され可愛がられ、応援されているのがよくわかりますね。
とても素敵な由来だと思います。
以上が、いちやまもと(一山本)の由来は?についてでした。
一山本大生Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/一山本大生
●いちやまもと(一山本)まとめ
いちやまもと(一山本)のまとめです。
・いちやまもと(一山本)のプロフィール
・当時は力士になる自信がなく公務員となる
・公務員も夢であった
・力士へのきっかけは国体で思った実績を出せず、それが逆に力士への思いが再燃する
・元幕下・神光(村上光昭氏)からの相撲界への誘いも後押しする
・新弟子検査は22歳未満、当時既に23歳
・新弟子検査の新条件が、実績があると認められれば25歳未満となる
・元々、相撲を勧めた母親は猛反対だったが、兄の説得により二所ノ関部屋入門
・いちやまもと(一山本)の由来は9画が縁起が良いと大学OBが命名
そして現在、いちやまもと(一山本)は増量に苦労されているようです。
187㎝ 130㎏
力士にしては食が細く、茶碗2杯程度でお腹いっぱいになってしまうので、4,5杯は食べれるようにしたいと語っています。
これは親方でもある若島津も、現役時代は増量に苦労されていたので、いちやまもと(一山本)の気持ちに寄り添って指南してくれるでしょう。
強くなるためには、増量も義務となるのかもしれませんが、どうぞ病気には気を付けていただきたいですね。
これからも、いちやまもと(一山本)の活躍を見守りたいと思います。
日刊スポーツより
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905290000719.html
コメント
はじめまして!
一山本さんの情報を集めていましたら、「福ぶくろ的ぶろぐ」さんのブログに的中(笑)
赤い糸に引きよされ(私だけの思い込み)コメントを書きました。
松鳳山関の名古屋の母です(これも思い込み)
相撲甚句の講師をしています(女性)
松鳳山関が十両に上がった時・小結・結婚式にも・・・
甚句を作詞して唄っています。
昨年、九州場所で関取と食事をした時、一山本さんが付き人で同席❗️
『甚句を作るから上がっておいで・・』と約束しました。
凛さんのお得情報を参考にさせて頂きますネ〜
私、古希を迎えたばばです(笑)
よろしく!!
緑春さん、初めまして!
お読みいただきありがとうございます。
恥ずかしながら、相撲甚句についてあまり詳しくなく、ユーチューブで動画をいくつか観て(聴いて)勉強させていただきました。
もしかして、緑春さんだったかも…⁉
相撲甚句、とても素敵です!
そして勉強になりました。
力士にとって、相撲甚句を唄ってもらうことはステイタスだと感じました。
「甚句を作るから上がっておいで・・」
これはすごく励みになり、奮起する言葉だと思います。
言葉の力はすごいです。
そして、ばば、だなんて…
姐さんと呼ばせていただきます。
本当に、私のブログをお読みいただきありがとうございます!